そのへん、なんかテキトーに。

独立開業から丸一年。年中無休のはずが毎日が夏休み?

バリアフリーとユニバーサルデザイン

おそらく多くの方はご存知なのでしょうが、世の中にはユニバーサルデザインというものが存在します。恥ずかしながらこの言葉、ボクはつい最近になって知ったのですが、バリアフリーとは少し違うもののようです。


最近お気に入りの広辞苑(第七版)で「バリアフリー」を調べてみると、「身体障害者や高齢者が生活を営むうえで支障がないように商品を作ったり建物を設計したりすること。また、そのように作られたもの」とありました。これに対して「ユニバーサルデザイン」は、「年齢や能力の如何にかかわらず、すべての人が使いやすいように工夫された用具・建造物などのデザイン」とのこと。結果として出来上がってくるもの、例えば公共施設など、は同じものになったりすることがあるのですが、この二つはそもそもの出発点が違うのだそうです。


今までボクは、人にやさしい、といえばバリアフリーのことだと思っていました。障がい者、特に車いすを利用されている方をイメージしてたんですね。バリアフリーって、そういう方でも楽に行き来できるように特別に何かつくるべきだっていう発想です。対してユニバーサルデザインは、最初から利用する人を限定しません。誰でも使える共通のものを作ろうという発想です。共通の価値といってもいいのかもしれません。


「音響式でない信号の前で目が不自由な人が立ち往生している。誰も手を貸そうとはしない。これについて皆さんはどう思いますか」という問いに対し、多くの人は、目の不自由な人に手を貸すのか貸さないのかという議論をするかもしれません。困っている人を助けるという考え方は道徳的にはとても素晴らしいことですし、ボク達の仕事もそこが立ち位置です。でも、障がい者福祉という視点でこれを見ると少し違ってくるそうです。


障がいを持っていたとしても、環境が整っていれば自分一人で行動を起こすことができます。先の例では、信号機を音響式に変えるだけで、目の不自由な人は誰の手を借りずとも自由に横断歩道を渡ることができます。横断歩道そのものがなければなおさら安全です。障がいを持つ人が障がいを持ったままで、自由に安心して暮らせる環境が必要なのです。


ボク達は、生まれた時からそれぞれが特別な個性を持っています。もし、身体的な特徴がその人の個性なら、それは十分尊重されるべきものだと思います。